志賀高原のほぼ中央、最もホテルが集まる一の瀬エリア。スキー場へ歩いて出られる便利さや、パノラマパーキングから望む山並みに惹かれ、何十年も通い続ける常連がいます。
その一角に建つのが、昭和から三代続く宿「ホテル大六」です。今回は三代目のご主人に、宿の成り立ちから、一の瀬という土地のこと、そしてこれからのことまでをうかがいました。
返ってきたのは、華やかな観光の話だけではありませんでした。
「みんなで力を合わせてあれをやることが、一の瀬の団結の象徴なんじゃないかな」
宿の歴史、土地の流儀、そして変えるものと守るもの。一軒の宿の物語から、一の瀬という場所の素顔をひも解きます。

「大六」という名前は、祖父の生まれ年から
ホテル大六の始まりは、一軒の小さな山荘でした。「大六」という名前の由来は、とてもまっすぐです。名付けの元になったのは、創業した祖父のお名前。そしてその名は、祖父が大正六年(1917年)生まれであることにちなんでいるのだといいます。
「大正六年生まれだから。それだけなんです」
そう言って、ご主人は笑います。生まれ年がそのまま名前になり、宿の名になり、いまもこの一の瀬の看板として残っている。飾らない由来そのものが、この宿の人柄をよく表しているようでした。
ご主人は三代目。二十歳でホテルの専門学校を出て一の瀬に戻り、長く現場に立ち続けてきました。けれど、当主として正式に宿を背負うようになったのは、比較的近年のことだといいます。
「この前、証明書を取ったときに、あれ、まだこれだけしか経っていないのか、と自分でも驚きました」
父が元気なうちから現場を任されてきたぶん、「一人で全部やっている」という気負いはなかった。それでも気づけば、宿の歩みの大半を見てきた人になっていました。

「帰ってこい」と言われた理由
本当は、よその宿で修業をしてくる予定だったといいます。ところがちょうどその頃、父が一の瀬の旅館組合長を務めることになりました。
「父が組合長になることになって。年に百日くらい用事があると言われて、だから悪いけど帰ってこい、と」
百日――。年のおよそ三分の一です。その用事は、組合の会合だけではありません。工事の資材置き場として土地を借りる判子をもらいに歩く、といった細かな調整まで、地域のあらゆる雑事が当主に回ってきます。
一の瀬で宿を継ぐとは、宿の経営に加えて、地域そのものを回す役目を担うこと。その現実が、若き日のご主人を呼び戻したのでした。

一の瀬は、志賀高原の“ど真ん中”
志賀高原にはいくつものエリアがありますが、ホテルが最も集まっているのが一の瀬です。どこへ行くにもアクセスがよく、リゾートの中心地として賑わってきました。
ご主人がとりわけ好きなのは、パノラマパーキングからの眺めだといいます。一の瀬ファミリースキー場や、隣接する高天ヶ原の頂上から見渡す景色も格別。便利さだけでなく、ふと足を止めたくなる美しさが、この土地には同居しています。
そして、表立っては言わないけれど――と前置きしながら、ご主人はこう続けました。
「我々が引っ張っていかなくては、という気持ちは、みんな持っていると思いますよ」
その自負は、決して傲慢さではありません。むしろ「中心だからこそ、自分たちで守らなければ」という、責任感の裏返しでした。

一度やめて、わかったこと
一の瀬、そして志賀高原では、生活を支えるインフラの多くを住人自身が守っています。水道さえも、先人たちが自分たちの手で引き、いまもその維持を地域で担っているといいます。
「人に任せられる部分が少ないんです。だから“おてんま”(住人総出の共同作業)が多い」
岩菅山の登山道整備も、その一つ。毎年、夏になると班に分かれて草を刈り払い、山頂の祠にお神酒を供えてお参りする。若手は山頂直下まで草刈り機と燃料を担ぎ上げる――重労働です。高齢化が進むいまは、体力のいる持ち場を若手に固定でお願いするようになりました。
そんな共同作業の象徴が、「山の神」の祭りで立てる幟旗(のぼりばた)です。実はご主人、組合長を務めていた時期に、この旗立てを一度やめてしまったことがありました。理由はシンプルで、「大変だったから」。
ところが――。
「自分でやめたのに、気持ちがずっとモヤモヤしていたんです」
その後、一部を復活させてみると、ようやく気持ちが落ち着いた。やめてみて、初めてわかったことがありました。みんな「大変だ」と言いながら、実はあの旗立てが好きなのだ、と。
「みんなで力を合わせてあれをやることが、一の瀬の団結の象徴なんじゃないかな」
便利なやり方に変えることもできた。でも、それをやっていたら、きっとまた後悔した気がする、とご主人は言います。手間のかかるやり方をあえて残すこと。それ自体が、この土地が大切にしてきたものでした。変えていいものと、変えてはいけないもの。一度手放してみたからこそ、その線引きがはっきり見えたのです。

五輪が変えたのは「道」だった
一の瀬の歴史を語るうえで外せないのが、1998年の長野オリンピックです。とはいえ、ご主人の答えは少し意外なものでした。
「五輪そのもので潤った実感は、あまりなかったんです。でも、いちばんありがたかったのは、道がよくなったこと」
オリンピックに合わせて上信越自動車道が信州中野まで延伸され、蓮池側へ抜けるトンネルも貫通しました。それまでずいぶん時間のかかっていた蓮池への道のりが、ぐっと短くなったといいます。
実際、上信越道の信州中野インターまでの開通は1997年。翌1998年の五輪に間に合わせるため、急ピッチで整備されたことが記録に残っています。華やかな祭典の記憶よりも、暮らしと商いを支える一本の道。地に足のついた、ご主人らしい視点でした。
氷河期からの生き残り。雑魚川の原種イワナ
冬はバイキング中心ですが、宿泊客の落ち着く季節には、定食でじっくりもてなすことも。その一品が、イワナの塩焼きです。
このイワナ、ただのイワナではありません。近くを流れる雑魚川(ざこがわ)で育った天然魚を、地元の名手から分けてもらっているといいます。
「ここのイワナは、氷河期からの生き残りみたいなものですから」
その言葉は、大げさではありませんでした。岩菅山系を源とする雑魚川は、志賀高原漁協が一切の放流を行わず、支流を禁漁区(種沢)として原種のイワナを守り続けている、全国でも珍しい川。水産庁のモデルケースとしても注目される清流です。
橙色の斑紋が鮮やかな、混じりけのない天然イワナ。その一尾を炭で焼いて出す――。一の瀬の自然そのものを、皿の上で味わう贅沢があります。

これからの一の瀬へ
最後に、これからのことをうかがいました。ご主人がいま温めているのは、一の瀬の住人みんなで集まる場をつくる、というアイデアです。
普段、地域の集まりは、旦那衆は旦那衆、奥さんたちは奥さんたち、若手は若手と、それぞれに分かれてしまいがち。だからこそ、一同に会して何かをしたい。
「みんなで作業して、そのあと火を囲んでカレーでも作って食べる。そんな“一の瀬祭り”みたいなことをやりたい」
かつてはお盆に盆踊りがあり、夜店が並び、人が自然に集まる場があったといいます。その温度を、形を変えてもう一度。受け継いできたものを次の世代へつなぐために、ご主人は静かに動き始めています。

ホテル大六が大切にしていること
便利になっても、自分たちの手を離さない。大変でも、みんなで山を守る。ホテル大六の三代目が語ってくれたのは、一の瀬という土地の生き方そのものでした。
ゲレンデへの近さ、バラエティ豊かな料理、大浴場でほどける時間。宿としての心地よさはもちろんですが、その奥には、こうした人の営みが静かに流れています。
次にこのエリアを訪れるときは、雪の上の一日のあとに、少しだけそのことを思い出してみてください。きっと、いつもの志賀高原が違って見えるはずです。
ホテル大六 施設情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 施設名 | 志賀高原一の瀬 ホテル大六 |
| 所在地 | 〒381-0401 長野県下高井郡山ノ内町平穏7149 |
| TEL | 0269-34-2210 |
| FAX | 0269-34-2953 |
| アクセス(公共交通) | 長野電鉄「湯田中駅」より志賀高原方面行きバス、または長野駅東口より直通バス(長電バス)で志賀高原へ。最寄りは「一の瀬」バス停 ※下車後の徒歩分数は 要確認 |
| アクセス(車) | 上信越自動車道「信州中野IC」より志賀高原・一の瀬方面へ ※距離・所要時間は 要確認 |
| 駐車場 | ホテル前にパーキングあり(無料)※台数は 要確認 |
| ゲレンデ | 一の瀬ファミリースキー場ほか人気ゲレンデが近接 ※ゲレンデまでの徒歩分数は 要確認 |
| 客室 | 和室を中心とした客室 ※洋室・和洋室の有無、総室数は 要確認 |
| 大浴場 | 大浴場あり ※泉質・入浴時間は 要確認 |
| 食事 | 冬はバイキング(和洋中〜デザート)中心、時季により定食。夏は雑魚川の天然イワナの塩焼きを供することも ※提供条件は 要確認 |
| チェックイン/アウト | 要確認 |
| お支払い | 各種クレジットカード利用可 |
| 公式サイト | https://shiga-dairoku.com/ |
| 予約サイト | https://resv.shigakogen.gr.jp/dairoku/ |
| https://www.instagram.com/hotel_dairoku/ |
※宿泊プラン・営業日・食事内容・浴場の利用時間などは時期により変わる場合があります。最新情報は公式サイト、または宿へ直接ご確認ください。
