水と共に生きる高原リゾート、志賀高原一の瀬エリアってどんなところ?

水と共に生きる高原リゾート、志賀高原一の瀬エリアってどんなところ?

標高1600メートル。志賀高原のほぼ中央に位置する一の瀬は、21の宿が肩を寄せ合い、ゲレンデが四方へ広がるリゾートの中心地です。けれどこの賑わいは、もともと何もなかった高原を、人々が一(いち)からつくり上げてきたもの。そしてその歩みは、いつも「水」とともにありました。一の瀬がどんな場所で、どんな歴史を重ねてきたのか——少しだけ、その物語をご紹介します。

標高1600メートル、志賀高原のまんなかにある一の瀬

標高1300〜2300メートルにわたって広がる雄大な志賀高原。その中央部に位置するのが一の瀬地区です。21の宿泊施設とゲレンデがコンパクトに集まり、冬は複数のスキー場を滑り継げる利便性の高さが魅力。日本最大級のスノーリゾートとして知られる志賀高原のなかでも、一の瀬はまさにその拠点といえます。

雪が解ければ、表情は一変します。夏から秋は冷涼な高原気候のなか、高山植物や湿原を巡る散策が楽しめる別天地に。ゲレンデの麓を流れる清流・小雑魚川(こざこがわ)は、希少な原種イワナがすむ川としても知られています。

「志賀」とは“水の多いところ”を、「一の瀬」は“川の最初の瀬”、つまり“水の始まり”を意味するといわれます。その名のとおり、ここで暮らす人々は一滴の水も大切にしながら、この地に根を下ろしてきました。

すべては、何もない高原から始まった

志賀高原の豊かな自然は、古くから麓の人々の暮らしを支えてきました。江戸時代から、住民たちは山野を「入会地(いりあいち)」として共同で利用してきた歴史があります。その権利と管理を守るため、昭和2(1927)年、麓の沓野(くつの)地区の住民を中心に設立されたのが財団法人和合会(わごうかい)です。

和合会は山野の新たな活かし方として観光開発に着目し、長野電鉄とともにスキー場づくりに乗り出します。やがて志賀高原は日本初の国際スキー場として、国内有数のリゾートへと成長していきました。昭和24(1949)年に国立公園へ指定されてからは、開発と自然保護の両立を図りながら、認可のもとで慎重にリゾートづくりが進められます。

一の瀬の開拓が始まったのは、昭和38(1963)年。和合会の会員のなかから希望者を募って入植がスタートしました。ただし、与えられたのは「ここを使ってよい」という区画の線が引かれただけの、文字どおり何もない土地。建物も、水道も、電気も、暖房も——入植者は一つひとつを自分たちの手で整えていくほかありませんでした。まさにゼロからの出発だったのです。

水を確保するための、共同作業「おてんま」

宿が一軒、また一軒と増えていくにつれ、人々がまず力を合わせたのが「水の確保」でした。水道組合がつくられたことをきっかけに、一の瀬の集団生活が本格的に始まります。

けれどスキー客が増えるほど、必要な水の量も膨らんでいきます。奥地の水源から水を引く集水工事には、多大な労力と費用が必要でした。そこで住民全員が参加して取り組んだのが、「おてんま」と呼ばれる共同作業。一の瀬の人々は、いわば一つの運命共同体として、水を守るために汗を流し続けたのです。

イワナが消えた日。そして、町は自然保護へ舵を切った

発展の裏側で、課題も生まれていました。宿や客が増える一方で排水処理が追いつかず、小雑魚川の水質が悪化。きれいな水でなければ生きられない貴重な原種イワナが、川から姿を消してしまったのです。

漁協との激しい対立も経験しました。けれど人々は次第に、自分たちの暮らす場所の自然を守ることの意味を理解していきます。そして莫大な費用をかけ、山岳観光地としては日本初となる高い基準の「一ノ瀬共同汚水処理場」を建設しました。

取り組みはそれだけにとどまりません。湿原を乾かさないよう、川岸をコンクリートではなく水の通る蛇籠(じゃかご)でつくり直したり、スキー場に横溝を掘って雪解け水や雨水を地中へ戻し、減ってしまった湧水量を回復させたり——。一の瀬で生まれたこうした工夫は、やがて隣接する高天ヶ原地区へ、そして志賀高原全体へと広がっていきました。

その結果、雑魚川には放流に頼らず自然に繁殖する原種イワナが戻り、今では天然イワナが釣れる川として全国の釣り人に知られる存在に。志賀高原は1980(昭和55)年、日本で最初のユネスコエコパーク(生物圏保存地域)の一つにも登録されています。

(ちなみに、志賀高原で唯一、一の瀬地区にだけ温泉がないのをご存じでしょうか。温泉を雑魚川に流せばイワナがすめなくなる——そう考えた人々が、温泉を“あきらめる”ことでこの川と自然を守ってきた、ともいわれています。)

水とともに生きる

何もない高原に線が引かれた日から、半世紀あまり。一の瀬の人々は、一滴の水を分け合い、ときに対立を乗り越えながら、自然と共に生きる道を選び続けてきました。宿を営む一人ひとりが、この土地で暮らす住人としての責任と誇りを胸に、今も生態系の保全と共生に取り組んでいます。

ゲレンデを滑るとき、湿原を歩くとき、宿の蛇口から流れる澄んだ水に触れるとき。その一滴の向こうに、こんな物語が流れていることを思い出してもらえたら——一の瀬で過ごす時間は、きっと少し違って見えるはずです。